僕の。

She is the Minerva
of mine.





「だ、だいきょおおー!?」
 混みあった境内の一角、素っ頓狂な声が響いた。それは十二分に可愛らしい少女の声をしていたが、想にとっては、何故か、どこか猛獣の唸り声じみて聞こえる。今までの和やかな雰囲気が一瞬で吹っ飛び、それ以上に驚きが胸を占め。
 結果としては鼓膜が痛い。
 初詣に来た参拝客の視線が、わっと集まり、大凶、大凶だって、と他人事にざわざわと逸らされていった。
 想は、横に立つ少女を見た。よりによって、まあよくも。驚愕と共にまじまじと、ある意味引きの良い彼女、水原可奈の持つおみくじに目を落とす。
 普段のパーカーにジーンズ姿の想の横、打って変わって艶やかな朱色の振袖姿をした可奈は、今は前項姿勢、ふるふると肩を震わせ、よれた紙、もとい、おみくじをまじまじと見ている。視線の先にあるのは、何をやっても駄目、といった意味のことが惜しげなく詠まれた和歌と、堂々と鎮座まします大凶の文字。その下の項目も、古典に疎い者にですら分かるほどはっきりと、全てにおいて救いもなにもない内容が綴られていた。
「お正月中ってこういうの入れないもんじゃないの?!」
 可奈の悲痛な独り言に、確かに、と想は一人ごちる。
 全く居ないとは言い切らないが、誰だって、新年早々大凶などという文字をみたくはないだろう。初詣には酒の入った客も居るのだし、因縁をつけられでもしたら神社側としても困る、筈。だから初詣シーズン中は大凶をおみくじに入れないか数を少なくしているという通説を思い、でもまあ、と思い直した。
 裏を返せばそれだけ初詣シーズン中の大凶は希少なのだ。水原さんの天性の引きが冴えわたった、という事か。惜しむらくは。
 とりあえず、想は可奈をなだめようと決めた。彼女の性格上、縁もゆかりもない神社に喧嘩は売らないだろうとは思う。
 しかして着飾った振袖の白とオレンジで描かれた御所車の辺り、撫で方気味の右肩から現れたトラの目つきが凄まじく悪い。その目がこちらを向いているのがとっても気がかり。
「よ、良かったじゃないですか水原さん。大凶なんて早々引けないし…
 返ってツイてるかも!」
 想の、彼としては懇親の慰めに。
「末吉の燈馬君に言われたくない!!!」
 可奈はぎろり想を見、即答した。
 この返しには想もカチンと来る。
「い、言われたくないって
 この末吉引いたの水原さんじゃないですか!!」
 想の言葉に、可奈はぐ、と詰まった。
 例によって例の如く、可奈は張り切っておみくじを引き、くじの結果が気に入らなかった為これは燈馬君の分! と言い切った。そして次が私の本当の運勢、とばかり、もう一度おみくじを引いた結果。
 ジト目の想の眼差しが、可奈には心持ち痛く感じられる。
「人の運勢まで決めようとするからバチがあたったんじゃないですか?」
 想の皮肉にも、彼女は唸り声しか出せなかった。返す返すも想の飽きれたような顔がなんともムカつく。
なんで、私がこんな目に…!
 ついに可奈は、ふん、と鼻息も荒くおみくじを片手で握りつぶした。想が若干引いているが知った事ではない。
「こんなの単なる紙切れじゃない!
 気の持ちようよ! 気の持ちよう!!!」
 さ、帰ろ帰ろ! 威勢良く潰したおみくじを振り上げ着物の裾が捲れるのも構わず大股に。

「ぅきゃ!?」
「水原さん!?」

 一歩、二歩目の途中でつんのめりかけた。咄嗟横手から差し出された想の腕に掴まり支えられ転ぶ事はなかったが、右足が足袋のまま宙に浮いている。からん、と、後ろから響いた音に今まで立っていた箇所を振り返ると、剥き出しの地面に鼻緒が切れた下駄が転がっていた。

「び、っくり、したあ…」
「転ばなくて良かったですね…」

 驚いている想の横、可奈は、偶然にしてはタイミングが良すぎる出来事に、内心握りつぶしたおみくじを。



 いかに可奈の運動神経がアスリート並以上とはいえ、片足で、しかも着飾った振袖姿で、百段近い階段を下りることは出来ない。ここは街外れの神社の為、新たに靴を買う手間はかなり惜しまれた。結果下駄の応急処置が出来ないか、という話になり。
 観光地としても知られている神社境内には人がごった返している。ここでは人の邪魔になる、何より少し腰掛けたい、彼らは、主に可奈の主張通り、下駄の鼻緒が切れた場所から少し神社の横奥手に移動していた。
 普段ならば片足で軽々移動も出来よう可奈とて、振袖姿は何かと動きにくい。こんな事なら振袖なんて着てくるんじゃなかった、などとやっとのことで移動した先にあった長椅子に腰掛けた彼女は小さくため息を吐いた。ポニーテールの結びに使ったトンボ玉の簪が緩んでいる気配。そっと手をやり角度を直す。
 そんな可奈には構うことなく。
 想は、長椅子の端にしゃがみこみ、鼻緒の切れた下駄をしげしげ手に取りながめていたが、やおら人ごみの方を見やり、買い物してきますと可奈の元から駆け出していった。 「あ、ならのど渇いたからついでにお茶お願い」
 可奈はといえば特にやる事もない。そんな声を遠くなった背に投げ、もう一つため息。暇つぶしに、心もとない足袋の足をぶらぶらとさせていた。
 少し憂鬱だった。
 なんとなく、まだ握り締めたままのおみくじを見。
「気のせいよね。気のせい」
 憂鬱さを吹き飛ばすように気合一発、更におみくじをもう片方の手で握りつぶした。こんな辛気臭いもの持ってるからいけないのよね。片足を揺らし、長椅子により深く腰掛けなおす。
 ばき、という音がした。
「へ?」
 次の瞬間、長椅子が勢い良く後ろに傾いた。
「わあッ!?」
 あまりに突然の事に受身もそこそこ。可奈は長椅子の後ろに思いっきりしりもちをつく。
「ぃい…っつー……」
 無意識脚をハの字型に重ねたため、着物の裾が乱れてしまっていた。膝裏は着物ごしとはいえ木材にあたって痛い。幸いな事に目撃者はそれほど居ないが、だからといって打ったお尻と膝裏の痛みが和らぐわけはなく。咄嗟についた右腕はじんと痺れ、おまけに手首がちりりと痒い。見れば薄皮を擦りむいている。地面を見渡せば、すぐ横に長椅子の割れた木材が転がっていた。着飾った振袖は土ぼこりに塗れている。土埃どころか。 「うわーぁ・・・」
 昨夜の雨か、いまだ湿り気の残る地面が恐ろしい。
 可奈は、天を仰いだ。今回の初詣に振袖を着てきた経緯を思い、叔母に申し訳ないと心の中で詫びる。可奈ちゃんに良く似合うと思って。私はもう着ることはできないけど、直せばまだ使えると思うのよ、昔祖父がね、京都の染物屋と懇意にしててそこの一品うんぬんかんぬん。自慢げに思い出を語る叔母の顔と、その手にのせられた鮮やかな朱色の地に綺麗な御所車が描かれた着物が脳裏に蘇った。その綺麗な朱色が、まさか直してからものの一週間でどろだらけになるとは。

直しが早めに終わって……
折角だから初詣に着てこう、なんて、思うんじゃなかったなー。

 ごめん叔母さん。なんとか片足で立ち上がると、長椅子が壊れたことに気づいた神社の人が慌てて駆けてくるのが見えた。訳を話し、神主姿のおじいさんに低く低く頭を下げられつつ。
 鼻緒はまあ良くあるかもしれないけど、長椅子は良く壊れるだろうか、と。愛想笑いもそこそこ、いよいよ笑えてきた可奈は、水原さん、という声にそちらを見る。
 買い物袋を手にした想が普段の朴訥とした顔を心なし慌てさせて駆けてくる所だった。どうしたんですか、という問いかけに、やはり一連の事を説明しつつ片足で燈馬に近づく。
 鼻先、鳩の糞が落ちてきた。
 後ろの氏子と業者のおじさん達は、長椅子はつい先日新調したばかりなのにと不思議がっている。
 
 
 可奈は、占いなど歯牙にもかけない。
 曰く、良い結果なら信じるが、悪い結果なら気にしない、忘れる。
 彼女自身、そういう性質だと自負している。


 長椅子の近く、木にもたれ掛かり壊れた長椅子が撤去される様を横目にみつつ、厄落とし、お払い? いやいやいや、複雑な思いと共に心ここにあらず状態だった可奈を現実に戻したのは、想のあっけらとした呼びかけだった。
「水原さん、お店の人に教えてもらったんですが」
 想は、壊れた下駄を手に取り、ためつすがめつ下駄の面と裏を確認しつつ、細長いハギレをくるくるとひねり紐状にして鼻緒があった箇所に通している。ハギレなんてどこから、と可奈が良く見ると、買い物袋から少しはみ出した手ぬぐいがほつれていた。買った手ぬぐいをわざわざ割いたらしいことに、驚き、わざわざそんなことしなくても、と、勿体無くも。
 想に対しても、少し申し訳なくも、思い。
 可奈の返事がないことを気にも留めず、想は手は動かしたままに、さっき聞いてきたんですが、と話を続ける。
 それで会話しているつもりらしい想に、人の目を見て話せ! と可奈はしゅんとしたのもつかの間、ムっと、思わなくもなかったが。結局、自分ばかりは少し苦労して想に向き直った。

「な」
「引いたおみくじの凶を吉に変える方法があるんだそうです」

 可奈の合いの手を聞くことなく、想は続ける。手は止まらない。捻ってこより状にし、下駄の穴に通した側の手ぬぐいのハギレの端から、少し穴が大きめに作られたトンボ玉を通し、その端をまた下駄の穴に通した。
「引いた凶のおみくじを枝に結ぶ時、全て利き手と反対の手でやるそうなんですが」
 下駄の穴からこより状にしたハギレの両端が出ている。その一端に鼻緒をひっかけ、もう一端とあわせて蝶結び。
「気になるなら、やってみてもいいかもしれませんよ、
 と。
 構造的にはこれでいいと思うんですが、履いてみて下さい」
 そして、涼しい顔で可奈に下駄を差し出してきた。
「……」
 想の直してくれた下駄の鼻緒には、少し不恰好な蝶結びがある。こよりのやり方も上手いというほどのものでもない。手つきもたどたどしく、幾度か下駄の裏と面を見たり、何かを思い出すように考え込んだり。何より破くためにわざわざ布を買ってくるなど勿体無い以外の何物でも。
「……水原さん?」
 普段は数式をノートやパソコン画面に書き留める指が、さっきは下駄を弄くっていた。慣れない手つきで鼻緒を直す、その黒い瞳はこの上なく真剣。
 少なくとも。
「んあ、あ、ありがと!」
 こちらの心臓が煩くなるぐらいには。
 可奈は急に覚えた頬の熱さを無視するように、差し出され置かれた下駄に足を通す。少しきつい。その由を伝えるとじゃあ結びなおしますね、と想からはあっけらとした返事。

なーんも、考えてないんだろーなー。

 可奈は思う。こっちの返事が遅れたことにも、初詣に振袖を着てきたことも、こいつは、何も。
 そう思うと、今かがみ込んで鼻緒の調整をしている想の姿が無性に憎くたらしく思えてきた。そのさらさらとした黒髪の奇麗なつむじの辺りに鉄拳を落としてやりたい。こう、がつん、と。
「これならどうです?」
 想は、今度は結び目も良く出来た、と屈んだままほんの少しの達成感と共に可奈を見上げ、絶句。
「あ、今度は丁度いいかも。
 ありがと燈馬君!」
 頭上から降って来た声も、向けられる可奈の顔も、LED電球のように明るい。
「い、イエ」
 しかしてその後ろから、ずもも、と目つきの全く宜しくないトラがのぞいているのはどういう了見か。


「で、左手で上手く結べればオッケーなのね?」
「ええ。利き手と反対の手で枝に結ぶ事が出来れば
 ……困難な行いを達成することによって凶が吉に転じる、と言われているらしいです」

 下駄も直し、凶を吉に変えることができるなら、と。可奈と想は今、おみくじを結びつける為の渡し棒の前に来ていた。
 閑静とは言いがたい境内、禁止されている筈の木の枝にも、おみくじを結ぶための枝代わりの渡し棒にも既に鈴なりにおみくじが結び付けられている。真新しいものや古いもの。綺麗な結び目、よれた結び目。結び方も良く見ると様々だった。
 可奈は、手ごろな高さから始まり、五段に分けて設けられた渡し木のうち、己の身長より頭一つ半は高い場を見上げる。おみくじ、といって誰がどれだけ信じるか、縦にも横にも握りつぶされたものを広げられ、今は左手で折りなおした為に本当によれよれでしおれた紙を、左手だけで渡し木にかけ始めた。
 おみくじを結びつけるための渡し木の手ごろな高さには、既におみくじがたわわに実っているが隙間がないわけではない。
 それでも可奈は、彼女が背伸びをしてぎりぎり届く場に、左手だけでおみくじをひっかけようとしていた。上手くいかない。何度も落としそうになり、背伸びをやめて手を休めつつも、どうにかこうにか。
 見かねた想が声をかける一瞬前。
「きっとさ」
 可奈は折角着付けた振袖も乱れ気味、肩まで捲くれ上がった袖から白くしなやかな左腕を惜しげもなくさらし伸ばし、おみくじを左手だけで結ぼうとしている。
「こんなことしたって意味ないんかもしれないけど」
 おみくじは、もう少しのところで結びにならない。
「どうせなら、自分の手で凶吉ひっくり返してやりたいじゃない?」
 引っかかったおみくじの端を、白い手が押さえ、白い指が引っ張る。右手は使えないため胸の前でガッツポーズを作っていた。その拳も白く力んでいる。
 想の見上げる中、渡し木におみくじが、あと少しで。
「大凶転じて大吉に、な、あ、れ!!!
 と、よし!
 でーきた!!!」

 振り向いた可奈と、上手く結ばれている、きっと今は大吉に転じているだろう紙切れに。
 想は眩しそうに目を細めた。


13/04/14(改稿)

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