しっぽのきもち

Feelings of tail.





 赤青黄色、原色の波が強烈なエレキの音とリンクして奇妙に伸縮を繰り返していた。使っているパソコンの画面よりずっと鮮やかなその色彩は漆黒に咲く花火のよう。彼は今、その中を自由に浮遊している。酷く楽しく愉快な気分だった。三日前のパーティーの時を思い出す。あの時はベッドの上でトランポリンをするだけだったが、重力から放たれると人はこんなにも楽しいのだろうか。
 大小好き好き、極彩色に咲きしぼむ華々は、よく見れば全て数字の羅列で出来ている。0と1、音と光の世界。その中を両手を広げ、風に乗りどこまでもどこまでも。宙返りもお手の物。
 進む、その、右太ももが、厭に痺れて痛みを訴えた。
 風切る金髪を横切り、ひょい、とそちらを見れば、見た途端頭から真っ逆さま。
 あ、という間もなく、彼、ことシド・グリーンは、自身に割かれている研究室の中ほど、どっかりと置かれたぼろぼろの革張りソファーに、これまたどっかりと、両腕をソファーの背に持たせかけた状態で両足も広げて座っていた。
 かくん、とあごが落ち、ぼんやりと頭は覚醒に向かう。馴染んだタバコのにおいが鼻をついた。目の前のデスクには、こんもりと盛られた吸殻の山、の下でがんばっているにび色の灰皿が見えている。
 と、ぽろり。吸殻の山が僅かがけ崩れを起こした。
 その山の向こう、今はスクリーンセーバーが稼動するパソコンが一台。パソコンの左手には、破り捨てたような紙の上、殴り書きで文字がある。
"クソッたれ"
 れっきとした理論の上に堂々と鎮座ましますそれは、彼がついさっき書き捨て、言い捨てた文句だった。
「あー・・・・・。」
 彼の、意識の外で声が出た。記憶が、辿りたくないとその先を制御しかかる、が、思い出してしまったものは仕方が無い。断るに断れないスポンサーの顔。はっきり言って、ああもうその場で罵詈雑言吐き散らしてやりたかった、無理難題。
 現在も頭の上がらない教授から体よく押し付けられた課題の経緯を思い返し、シドは、無性にタバコが吸いたくなった。

まあ、無理って程…むりでもねーっぽいけど、なぁ?

 漆黒の中に光が舞う世界を飛んだ経験、あれは夢だった。
 そして、彼の求める課題の答えでもあるようだ。

っあー・・・だりぃ。

 しかしてその過程までが、どうにもシドのお気に召さない。全身を駆け巡っていた高揚感も過ぎてしまえばゴミ同然。その理論は、再現するまでにかなり、無駄に、細かい細かい細かい、作業を必要とする、らしい。
 頭の煮えたぎるような機械の性能。何べんやっても何べんやっても何かが違うらしい正解までの道のり。その日々は、主にスポンサーへの怨嗟と疲労と忍耐と体力とうらみとつらみとあれこれそれあれ。考えただけで丸一日を日向ぼっこか、マス釣りに当てたい気分に又も陥った。実際一回逃げかけた。好きではなかった。否、嫌いだった。
 なぜなら、理論は既に、頭の中で確固たる形をもっているのだから。

一服したら、やるか。
 
 動作も重く懐からタバコを取り出そうとして、そこでシドは、いやに左太ももが痺れている事に、胡乱な目を、ひょい、とそちらに向ける。
 取り出したタバコの箱は、軽い衝撃を持って右太ももに転げ落ちた。
 己の股の間、見えるぼろぼろな革張りソファーの、ワインレッドだったらしき革と中身の綿の黄色が斑を描く場所に、艶やかな黒髪が二筋ほど落ちている。履きふるしたジーンズの左太ももには、一つに結って尚ほつれた酷く鮮やかな黒髪が乱れ流れていた。
 普段見慣れた褐色の小作りな顔は、幸福そうに微笑を浮かべている。閉じた瞼の先、漆黒の睫は酷い隈の上、長く頬に影を落としていた。形のよい唇は淡いピンク色。その少しかさついた色合いから、穏やかな寝息が零れ落ちている。
認識した途端、彼女の体温や落ちる吐息のほんのりとした熱が彼のジーンズの下、太ももをたちまち粟立たせた。
 否、太ももだけでなく、背筋を駆け下るえもいわれぬ衝動。

くそったれ

 シドは小さく毒づく。彼の左太ももを枕としている彼の相棒、エバ・スークタという女性は、くたびれた白衣の中に黄緑色のセーターを着込み、少し寒いのか、丸まって眠りを謳歌している。太ももにぎりぎり掛からない位置で褐色の両手がちぢ込められていた。彼の頭の中を形にしてくれる指先は、酷くたおやかにそこにある。
 普段はおとなしくソファーの背に寄りかかって眠っている筈の彼女は、どこをどう間違ったか今回はよほど疲れたか、態勢を横に崩し、上半身はソファーの上に寝そべっていた。位置的に丁度良い場所にあった彼の太ももが、彼女の枕となった、らしい。シドは思わずと右目に右手のひらを押し付け、ジーパンの太ももに黒髪は鮮やかで、掛かると息も、重みも熱も優しく甘く、蟲惑的に映る。

What are little boys made of?

 苦々しい心地でマザーグースの一文を思い出した。男の子は何で出来ている? 天井を仰ぎ、また、くそったれ、と小さく吐き捨てる。取り落としたタバコの箱を拾い上げ、じくじくたる気持ちでまた胸元にしまった。タバコの火は摂氏六百度程度という事を思い、吸い込んだ時の先端の温度に更に苦い顔をする。落ちる火玉ですら八百度以上。とてもとても、男は、そんな状況を思い浮かべたくも無いがまあ置いておくとして、女性を膝枕したその上で嗜める物ではない。

なんつーとこで潰れてんだよ、オメエは。

 シドは、小さく毒づいた後ソファーにどっかりと寄りかかったまま天井を仰いだ。呆れたように又、己の膝を、眠る彼女を見遣る。

What are little girls made of?

 彼の胸中など知らぬだろう、エバはすやすやと、あどけない顔で眠っている。少し丸まったように肩をすぼめている仕草は、正に甘ったるい中に僅かの毒を混ぜたような童話に出てくる少女のようだった。目の前の彼女の実年齢を知っている彼は、その年齢と、仕草や表情に混ざるあどけなさがつり合わないと言うことは判っていた。しかしその齟齬を、どうにも笑う事ができない。

こんなん、幾つになったっておぼこじゃねーか。しかも泣き虫と来たもんだ。

 なんでもない事でもすぐ涙目になり、彼に救いを求めてくる。頭は良いくせに要領が悪く、大人しいから人につけ込まれ易い。かと思えば、唯一無二の親友との仲を、引き裂きかけやがった女。

ドジでヘマですぐメソメソしやがる。
おまけに間抜けじゃ救いようもねぇ

 無理難題、形にする事が兎角難しいと倦厭されがちの、天才、そういえば聞こえはいいがいたずらも手に負えない問題児の頭の中をデータとして現してくれる。問題児がどんなに辛く当たろうとも、上手く出来ない己が悪いと言葉を返すこともしない。
 必死に、彼についてこようとする人間。

んな奴、放っとるワケけねーじゃねーか!

 シドにとって、エバはそういった存在だった。手のかかる、相棒。居なくては困る相手。彼の頭について来れる人間も一人だが、彼の研究をこれほどまで正確にデータとして表せる、少なくともその努力をここまでする人間も他にはいない。
 今夜は、誰と遊ぼうか。ふいに、シドは夕飯を考えるような軽さで一人ごちた。キャサリン、シルヴィア、アネット、キャシー? 胸が大きくて金髪碧眼。一夜を楽しく、後腐れなく過ごせる相手なら誰でも良かった。プレイの内容を思い浮かべ、にたりとする。久しぶりにあんな事も楽しんでみようか。大学時代の下半身仲間を誘ってもいい。
 彼の左太ももには、痺れた暖かさが蟠っていた。少女はシドの思惑など知らず、ただただ、疲れからくる休息に身体を預けているばかり。少女を見下ろす青い瞳が薄っすらと暗く真剣みを帯びて、どこかぎらついている事にも気づかない。
「ついてねぇ」
 じ、っとエバの顔を見ていたシドは、降参、と言わんばかりに呟き、感情の出やすい眉毛を左右対称に下げ。

 行動は、止められなかった。

 彼の左太ももを痺れさせている原因、そこから流れる艶やかな黒髪に白く無骨な指先が滑る。艶やかな髪の流れを逆さに辿り、彼女の、一つに結わえたゴムもほつれかけた頭に手をやった。
 柔らかな髪の質感には、自然と喉が音を立てた。頭に置いた手は、滑るように前髪を掻き分け、褐色の額をも撫でる。
 エバに反応はない。
 指腹に伝わる温度と、肌は、少し荒れているようだった。黒く長い睫を掠りざま、つい、と。
「……ん……」
 唇に触れる。
 甘やかな響きが微かにシドの耳朶を掠った。下半身に抗いがたい熱が集まってゆく感覚をやばいと意識しつつも、彼は桜色の唇をゆっくりとなぞりだす。かさついた唇の、薄い幕。指腹に伝わる温もりと、柔らかさ。吐息が爪にかかりすぐに冷える。全てが、シドの知っているどの女性の唇よりも。
「……くそったれ」
 
テメーはグズなんだから、気づくんじゃねーぞ。

「」
 声は、言葉にもならない。彼の唇は確かに少女の名を形作ったが、そんな事は、当の彼ですら知らない事。
 ロキの白く硬い指先が、微か、柔らかな唇を割った。割りいれた粘膜の感覚が抗いがたく指先に蟠る。彼女の唾液のぬめる感触。それさえ頭の芯をぐらつかせて仕方が無い。
 これ以上は起きる、そんな声が、彼の奥のほうで冷静に響いた。
 白い指先は、逡巡の後、彼女の唇から離れる。

 シドは再三、大仰にソファーに寄りかかった。ついで顎を限界まで逸らせ、あー、と意味のない声を出す。見慣れた研究室が逆さまに映った。その見慣れない風景が、僅かでも、下半身の熱と確かに覚えた劣情を和らげる。そんな事を期待しながら。
 そういうこと、の対象としてエバを捕らえる。その事が、シドには手ひどい裏切りのように感じられて仕方が無い。まして、まだまだ自分は。

遊びてぇし、なぁ?

 ふいと、彼の脳裏に、所詮ローレライへの嘆願、もとい、酔っ払い親父の空想が音楽を持ってよぎったが、今回は起きてもらっても困った。シドは別のことを考え、先ほど思い出した、マザーグースの韻を楽しむ事にした。



What are little girls made of?
女の子は何で出来ている?

What are little girls made of?
女の子は何で出来ている?

Sugar and spice
砂糖 スパイス

And all that's nice,
素敵な何か

That's what little girls arc made of.
んなこんなで出来てらあ。

フレーズを唇に乗せ、韻は軽快に。


What are little boys made of?
男の子は何で出来ている?

What are little boys made of?
男の子は何で出来ている?

Frogs and snails
カエル カタツムリ

And puppy-dogs' tails,
小犬の尻尾



「くっだんねぇもんで出来てんだ」

 吐き捨てた言葉だけが、嫌にシドの耳を打つ。



 以上、もどきの提供でお送りしました!
(2011/07/30掲載)