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The number






 さて、どうしてやったものか。彼女は心底困っていた。それは、もう。学校の友達に大好きなスイーツバイキングに誘われ、たらふく食べて友達と別れ、味をろくずっぽ覚えていないぐらいに、困っていた。
 彼女にとって、友達の悩みは自分の悩み。
 だからこそ、彼女、水原可奈は困って困って困りに困って、とある高級マンションの一角、呼び鈴のチャイムを鳴らす。
 難問と言えばこいつだ。その思考だけで、同級生の。
「どうしたんです水原さん。」
 重厚にして守りの堅そうな黒塗りのドアから、今ひょっこり顔を出した小柄な数学者、燈馬想ににっこりと微笑んだ。
 後に彼は語る。この時の彼女の顔は、女子高生の制服を着ていようが容姿が良かろうが、獲物を前に舌なめずりをする虎そのものだったと。
 紆余曲折。結局、彼女の困り事を聞くことになった想は、目下、お手製の麦茶で彼女をもてなしていた。
 あれ? 僕が話を聞く側ですよね? などとは、灰色の絨毯の敷かれたリビング中央、彼の家にあるなけなしのお菓子をパリポリと食しているその姿に聞けるわけがない。肉食獣も腹が膨れれば可愛いしぐさを見せる。特に可奈は虎だ。虎は猫科の動物だ。
 実際、己の部屋で部屋の主人然とくつろいでいる彼女の顔は、饒舌に尽くしがたく、不抜けていた。

 ああ可愛い。いつもこうなら可愛いのに。猫みたいで。

 可奈と知り合ってからか否か、一般のそれとはちょっとばかり感覚の違う感想を抱き、例によって例のごとく可奈に購入させられた黒く足の低いテーブルに麦茶と共に座った想は、で、と。話を切りだす。
 その言葉で、待ってましたとばかり可奈が話はじめた。
「あのね燈馬君。恋のおまもり良いの知らない?」
 腹が膨れた可奈は向かうところ敵なしだった。その場の空気が確実に固まったことに暫く彼女は気づかなかった。
 可奈は、目の前の想の、麦茶を口に含んだその喉が、ごっくん、と、音を立てて飲み込まれた音を聞き、はたと。
「あ、ごめん私急用思い出したわ」
 そそくさと荷物をまとめ、その場の空気から逃走をはかった。
 が。想の意外な一言でその足を止める。
「簡単なものなら作れますけど……一体どうしたっていうんです?」
 確実に引いたであろうと思っていた想は、いつものようになにを考えているのか分からない、きょとん、とした表情で可奈を真っ直ぐに見ている。
 何でもなさそうな顔は、相変わらずなにを思っているかわからない。正直引いている様子もない。
 可奈は、そのことに、退出しかけていた足を座布団に戻し、あのね、と話し出した。
「あたしの知り合いに原里って子がいるんだけどさ、好きな相手がいるみたいで。で、どうもさ、本気らしくてなかなか告白しやがらないのよ。
 で、二人きりになるようにセッティングしたりとか、いろいろ画策したんだけど、でもさ、肝心の一歩が踏み出せないーって、その好きな相手とまだろくずっぽ話もしてないの!
 挙げ句の果てには、直接的すぎる! とかいいだしてさ、もっと、精神的な一押しがほしい、なんていうもんだからさー……」
 だん、と、想の住まうリビングには本来不必要な黒く足の短い机が軽く揺れる。心なし身を乗り出し、困った顔で訴えて来た可奈に、想は、実力行使は既に実行済みなんですね、お節介な人だ、等と思ったことはおくびにも出さずふんふんと相槌を返した。
「で、間接的な一押しとして、お守りを?」
 なかなか変わった思考だ等と思いつつ、麦茶を一口すする。もっとも、可奈は本当に困っている、と、想は解っていた。
 友達のことで。
 それが分かるからこそ、可奈を見つめる想の目は優しい。
 想も困った友人からの依頼などを引き受ける事があるが、それは、大半がしがらみに縛られた上での行動である。まあ、お世話になってるしなったし。仕方がないかな。
 その点可奈は違う。積極的に親身になり、しがらみがあろうがなかろうが、首を突っ込んで依頼を引き受ける。

 曰く、友達の(じゃない場合も)悩みは私の悩み!

 想は、可奈のそんなところが。
 その想の優しい目に可奈の饒舌が支えられていると、残念ながら想は気づいていないけれども。
 可奈は、あきれながらも相談に乗ってくれる想に、いっそう調子をつけて答えた。
「そうなの! もう困っちゃってさ!!
 原里に一歩踏み出させるのが目的だから、相手に渡す系のやつ探してるんだけど。そういうのって、あたしよくわかんないしさー。香坂とかに聞いたら絶対ちゃかされるし、そう言う雑誌も苦手だしさー・・・」
 当たり障りのない表情の前で、大層色彩豊かに顔を変える可奈に、想は落ち着いて返した。

「じゃあ、効能に不安が残ってもいいんですね?」
「ぜんっぜんオッケー! 原里は勇気が足んないのよ! 好きならがつんと一発!!」

 その言葉が壮大な大きさとなって自分に返ってくる事に全く気づかず、可奈は握った拳を大きく降りあげ息巻いている。
 そんな可奈に、想は、ふむ、と麦茶をもう一口。
「おまもり、作ってもいいですよ?」
 どこをみているものか、視線を可奈からはずし、柔らかく笑って言った。その口元が優しい、顔が優しい。可奈はたまらなく嬉しくなって、本当!? と身を乗り出し。
 にーっこり。音がでそうなほど良い笑顔の想に出迎えられた。
「ただしその前に、数学のお勉強です」

しまったちくしょう! はめられた!!!!!

 想の笑顔が余りに無邪気かつ輝いている事に頬の火照りさえ覚えながら、可奈は大げさに身を引く。口から漏れた言葉は、ゲッ! ついで卑怯な、と一気にまくし立てた。
「なんだよ交換条件かよ!!! ってちょっと待ってよ恋のおまじないだよ!? 恋! 池にいる鯉じゃないってのよ何で数学なんて」
 激高する可奈に、昔のヨーロッパに実際あったお守りですよ。と。想はすまして答える。
「それにお勉強といっても、雑学みたいなものです。優にも受けが良かった話だし・・・水原さん、たぶん気に入ると思いますよ?」
 見つめてくる想の顔は穏やかでいて確信を持っているようだった。
 事件を解決する前の、全部見透かした顔。
 その顔に、可奈は弱い。
 だって事件を解決するときの燈馬君の顔なんだもん。ごにょごにょと自分の心拍数があがったことに言い訳をして、一言。

「…………優ちゃん?」
「はい。ちょっと不思議な数のお話です。……どうします?」

 半信半疑な声に返るのは確信めいたそれ。
 弱いなぁ、等と思いつつ、それでもその顔が嬉しくて、可奈は想の話を聞くことにした。



「まず、水原さん。220を割ることが出来る数をすべて書き出してください。あ、その数自身は、この場合は220は抜かしてくださいね」
可奈の目の前、真っ白な紙と鉛筆が用意された。おそるおそる携帯を取り出し、彼女は想をちらりとみる。
「電卓機能使ってもいい?」
 可奈の不安に反して、想はにっこりとOKを出した。
 ほっとした可奈は早速作業に取りかかる。220を割ってあまりのない数なら、お尻の0がかけ算ででてくる数だ。なのでまず。
「ええ、っと・・・1、2、4も割れるかな、後、5」
 6、8と試し。
「10、」
 22、と同じ数字が並んで0をつけていることから。
「11」
 後は前に出した数字で割った答えを導き出す。
「20、22、44、55、110・・・これで全部?」
 最後に想へと聞けば。
「全部です。じゃあそれをすべて足してください。」
 そんなことをいわれた。可奈はぽちぽちと携帯の電卓機能を使い、合計数を書き出す。

「284っと。足したよ?」
「そしたら、その数を割ることが出来る数を」
「この数以外に全部書き出して足す?」

 何となく次の作業を察した可奈は想を見、うなづく彼に、これがなにを意味しているか、皆目検討もつかないまま従う。
 まず1、元の数の後ろの数字が4であることから、2の倍数で試し、大きい数は小さい数の答えで求めた。それをまた電卓機能で細々足してゆく。
 でた数字は。
「お!? 220!?
 …なんで?」
 はじめにいわれた数字が出来たことにちょっと感動し、その理由を、なぜそうなるのか当然知っているものと目を輝かせながら、想に求める。
 想はその、可奈の安易な視線に苦笑し、さあ? と返した。
「求める式もありますが、何のためにそうなるかは知りません。
 でも不思議ですよね。
 数の世界では、この条件が当てはまる数のペアが他にも存在するんですよ」
 想の言葉に、可奈の目が興味に揺れた。
 上々の反応に、想は少しだけ紳士ぶって、言葉を足してゆく。
「水原さんにさっきやってもらった、その数を割る事ができる数、約数を足していくと、220は284に。284は220に。つまり、相手の数になる事が出来る。・・・ 互いに、相手の数を隠し持っている。
そういう数同士を、友愛数、または、親和数と呼ぶんです。」
 軽く身振り、手振りを加えて説明すれば、素直な感嘆が返ってきた。可奈はしみじみと、二つの数字を見比べる。
「なんか、ロマンチックだね」
 期待通りの反応に、想は静かに続けた。
「そうですね。古いヨーロッパの人々や、アラビアの数霊術師達はそこになにがしかの引力があると考え、この友愛数を恋のお守りとして扱ったんです。
 ということで、今水原さんが書いた数字を切り取って、その原里さんに渡してください。」
 そして想は、今度ははさみを可奈に手渡し、にっこり。
 ここまでくれば可奈にもその次の作業が解る。
「ん。で、どっちか相手に渡すようにいうんだ?」
「ええ」
 あれ? 作るっていったの燈馬君なのに私作ってない? そんな疑問を抱えつつ、しかしにこにこと家まで送ってくれた想にほだされて、可奈は翌日、原里という友達に、その紙が入った小さな巾着を2つ渡している。こういう物は中身をみると効果がなくなってしまう、俗説は可奈を助け、中身がただの数字だということは彼女に悟られなかった。

 喜ぶ友達に、可奈は満足げに微笑む。
 その日のケーキバイキングの味は格別だったとか。



 そしてそれから数週間月。
 可奈は、下校途中学校が見えなくなった途端、息せき切って想へと話し出した。
「すっごいよ! このあいだのおまじない!!! 
原里と好きな相手、くっついたんだ!」
「へえ、それはおめでとうございます」
 身振りも手振りも大きく、友達のことをまるで自分の喜びのように話す可奈は、燈馬君のおかげだよ! と太陽のように笑う。
「案外あれ、効果絶大なんじゃない?」
 そういう可奈の、その輝かしいばかりの顔に。
「……さあ? ああ、水原さん、これあげます」
 想は、静かに鞄から二つ、小さな巾着を取り出し渡した。
 赤と青の巾着。あっれー? なんだか配色に見覚えあるぞ、っていうか私も原里に赤と青のお守り袋作って渡したんだよね。などと思いつつ、可奈は。
「あ! いきなり中身みますか!?」
ばっさと巾着の中身を暴いた。
「って、なにも入ってないじゃん!」
 燈馬の差し出した巾着の中は、文字通り、からっぽ。
 いや、友愛数だっけ? アレが入ってても困るんだけど。でも何で二つ? そんなことをごにょごにょ考えつつ、不可解に想をみる。
 想は、やけに悟った顔で可奈を見返した後、無邪気にこういった。
「ええ。いつか水原さんにもそういう相手が出来ると思いますので、そのときに使ってくd痛!」
 言い終わる前に、可奈のげんこつを食らう。
「よっけーなおせわだっつうの!!!」
 可奈は、自分でもなぜそんなに腹立たしいのかわからないまま、拳に感情を込めていた。余計なお世話、そう言ったとたん、そうなのだと錯覚する。

 ああ、むかっときた! 燈馬君にそう言うこといわれるとムカつく!! 別に、別にいいけどさっ!

 誰にとも知れずごにょごにょ胸中で不満をわめき散らすその顔は、正に怒れる虎。
 そんな彼女に臆することなく、想は涙目で抗議を返した。
「いったいなあ! 僕は親切で言ったんじゃないですか!!!」
 そう言う声は、不満を前面に出していた。可奈は、ぎろりと想を見。
 みつめ。

 あれ? なんか浮かれてる? やっべ変なところ殴っちゃったかな!?

 痛む箇所をさすりさすり、もー。暴力的なんですから、とぶつぶつ言っている想のむくれた横顔は、なぜか安心しているようにも見えた。

 何を安心するんだ。巾着二つ渡されて、未来の恋人のためにとかいってたけど……本当は、うけとって貰えなくて、嬉しい?

 可奈は、そんな事を考え。

「なんです?」

 そう聞いてくる想から目をそらす。どんどん熱くなってくる頬と早くなった心拍数から逃げるよう、ことさら大きな声を張り上げた。

「別に。ぁ、あ!!! そうだ! ハイこれ!!!」
「へ?」

 とっさ、渡された巾着の赤い方を渡し返す。驚く想に、可奈も自身の行動に驚き。 
「あ、そ、そうよ中身入れてないってことはさ、なにでもない仲ってことだろ? じゃあ燈馬君にあげる!!!」
 自分で言いながらそうだったのかと錯覚し、それを理解と勘違いする。そうだ、燈馬君と私の仲は、なにでもないんだ。だって名前ないもん。

名前なくたって、強い仲だもん。

 
「なにでもない、仲」
 赤い巾着を受け取った想は、言葉を反芻した。それで、可奈は妙に満足し、うんうん、とひとり空にうなづく。
 が。横にいる想からの反応がないことに、次第、不安に、そして不機嫌になった。
「…………あんだよ? 不満かよ」
 声には戸惑いを隠したドスが混ざる。
 そんな可奈の胸中をしってか知らずか、想は、ぽつり、と。
「いえ、……そうですね。
そうします」
 それは、もう。可奈の顔が夕日もないのに真っ赤に染まるほど嬉しそうな表情で、無邪気に笑った。
 想のそんな笑みに、可奈は。
「わ、わかればいいのよ! あ、うちもう近くだから!!
 今日はここまでで良いや! いっつもわるいねー送ってもらっちゃって!」
 一気にまくし立て、ガキ大将のような顔で笑う彼女に、苦痛じゃないからいいんですよなどと考え、実際は当たり障りのない言葉で応じて、彼は自身の帰路についた。
 赤い巾着を丁寧に鞄にしまうと、なにを考えているか解らない表情で、実際は上機嫌に、少し前の事を思い出す。
 きっかけはなんだったか。ともかく、真っ白な二つの紙に、友愛数を一組書いて、破った記憶。

ああもう、かなわないなぁ・・・。

 回想の中で、想は、実は記す数字に困っていた。自分は果たして水原さんを友愛数を渡す相手としてみているだろうか? 解のない問いは、ボールペンを握る想の手を鈍らせる。
 結局、一度は友愛数で落ち着いた紙は破かれゴミ箱の中。しかし、彼は釈然としない。
 彼女とは、何かをつなぐ中になっていたい。
 そんなことを考え、ふと。
 試しに、二つ渡して・・・誰かとの恋愛の時に使ってください、といってみようか?
 そんなことを考えた。

 水原さんはどう答えるだろう? 素直に受け取られたら、僕はどんな気持ちをもつのだろう?
 素直に受け取る可奈を思い描き、おもしろくない、という思いを抱く想は、やはりそう言う目で彼女を見ているのだろうか、と。また自問に戻る。怒って、殴ってきたら。そのパターンを思い描くとき、心が軽くなったような。そんな錯覚を覚えるのだから、やはり、恋愛対象だろうか?

あの、水原さん、を?

 結局答えはでず、空の巾着を二つ渡す行動は実行に移し、彼女の反応と、生まれた己の感情如何で、想は己の気持ちをはかることにした。
 けれど。

何者でもない仲、か。

 可奈から返された答えに、想は、納得する。

 うまいこといいますね、水原さん。

 頭の中に渦巻く数の列。その中から特別な数を選び出し、完全数、親和数、準親和数、婚約数と、名前を呼んだ。
 ぽつ、と生まれた可奈の、笑って振り向く姿に、その作業をとめ。

 あなたとの仲は、未知数です。

 "e"の値を与えて、満足する。
 彼女に与えられた値は、とても彼女に似合っている、想は足取り軽く、自身の住まうマンションへと歩を進めた。

 She is interesting! The number is the "e".





けれど彼らは、満足が麻痺するものと、知らない。


 "e"!
 …………really?


 明らかに趣旨と外れているだろう参考書は『フェルマーの最終定理』です。
 ノリだけで出来ている話。書き上げたのは夏、掲載するか、半年近く悩みました。
(2011/01/10掲載)